Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

アダム・スミス

D・フリードマンによるロスバードの『アダム・スミス以前の経済思想』にたいする批判。ちょうど森村進編著『リバタリアニズム読本』の『国富論』を取り上げた箇所でこの本が取り上げられていたので,引用しておく。解説は森村進さんが書いている。

国富論』はこのように,自由市場経済を擁護する経済学の古典というふうに賞賛者によっても批判者によっても理解されていることが多いが,ロスバードの死後刊行の経済学史の大著『アダム・スミス以前の経済思想]』(1995年・未邦訳)は,その評価に異議をはさみ,数十ページを費やしてスミスの古典的自由主義者としての名声をはぎとろうとした。 ロスバードが指摘しているように,商品の価格がその主観的効用と希少性によって決まるということが数世紀も前から指摘されていたにもかかわらず,スミスは「自然価格」という観念に退歩し,不名誉にも後のマルクス経済学の労働価値説(ロックの労働所有論は財のほとんどの価格は労働によって創造されたと指摘するだけで,財の価値と労働時間とを結び付けないから,労働価値説ではない)の先祖になってしまった。 またスミスは国民が「尚武の精神」という「公共善」を持たねばならないと考えて,たとえ国防にとってまったく無益だとしても平時から国民全員の軍事教練と兵役が欠かせない,などという軍国主義的な発言を行っている(邦訳〓・152ページ)。そして彼が自由市場を賛美する一方で高利の制限を擁護するという矛盾は,経済政策の点では自由主義的だった功利主義ベンサム(Jeremy Bentham 1748-1832)の『高利擁護論』(原著1787年・未邦訳)によって見事に指摘された。

しかし,D・フリードマンは,このようなロスバードのアダム・スミス解釈は意図的に歪められたものだと指摘している。ぼく自身、フリードマンのリンク先の文章を読んだ程度だが、おそらくかれの言っていることのほうが正しいのだろう。そもそも「リバタリアニズムの25冊」に『国富論』を選んでおきながら,それを否定するような内容を載せるという意図がよくわからないが・・・

追記:ミーゼス研究所のサイトにロスバードを擁護する記事が載り,両者の間でちょっとした論争があったようだ。これにたいするD・フリードマンの反論。このなかで述べられている,ロスバードがD・フリードマンを国家を憎んでないとして批判したという文章はこれだろう。個人的にはスミスをめぐる評価よりも,ロスバードの『自由のためのメカニズム』評が興味深い。目的は同じなのだから仲良くしてほしいものだ。