Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

集合住宅と日本人

竹井隆人『集合住宅と日本人』。著者の竹井氏については,このブログでも以前から何度か取り上げている。本書は,『集合住宅デモクラシー』に続く竹井氏の単著だ。前作『集合住宅デモクラシー』が集合住宅の政治的側面に関するかれのそれまでの研究をまとめたものであったのにたいし,『集合住宅と日本人』は集合住宅を軸として一種の「日本人論」を展開している。もちろん「日本人」の特性を論じるといういわゆる「日本人論」が,ある種のいかがわしさを伴うことは事実であり,竹井氏もそのことは十分に認識しているように思われる。

かれの本書における主な主張は,第3章のタイトルにもなっている通り,「コミュニティ」から「ガバナンス」への転換が必要ということだ。旧来の工学者中心の街づくりにおいてしばしば唱道されてきた「コミュニティ」という言葉は,定義自体非常に曖昧であり,多くの場合情緒的で相互交流的な人間関係を想定してきた。いっぽう竹井氏の考える「ガバナンス」とは,「当該集団にとっての共通の価値や目標に沿って,個人の権利や自由に課すべき『制限』について合意していく政治的意味での『共同性』」であり,具体的には,集合住宅における管理組合(これを竹井氏はアメリカの政治学者エヴァン・マッケンジーにならい一種の「私的政府」とみなしている)への参加や討議を重視することだ。

竹井氏は,私的政府によるガバナンスを通して,住民に自らの問題を自らの手で解決していくという「民主制=デモクラシー」の原則を身につけさせ,究極的には日本全体の政治風土を変革していくこと目指している。 ぼくがかれのことを評価しているのは,日本人が論じるとおうおうにしてウェットになりがちなデモクラシーというテーマを,クールな筆致で(それでいて内容はかなり「過激」だ)書いていることと,自らの思想を実践する(社会変革する)ための手段にまで考察が及んでいる点にある。つまり、それが集合住宅における「私的政府」ということになる。

ぼくは,社会を変えていくのは最終的には何らかの「理念」の力だと思っているが,長期的にはともかく短期的な場面では,そのための具体的な手段まで考える必要があるのではないか。その点で,竹井氏が注目するゲーテッド・コミュニティや私的政府(Private Government)は,非常に有効的な制度的アレンジメントだ思う。ただ,ぼくが竹井氏と異なるのは,かれが,本書でも何度も参照されている丸山真男と同様にデモクラシーの可能性を信じているのに対し,ぼくはそんなものはゴミだと思っている点だ。数十戸から多くても数百戸の集合住宅なら可能かもしれないが,土台,一般大衆に公共政策にたいするマトモな判断能力などあるはずがないので,国政レベルでデモクラシーが機能とするとは思えない。いわばmob ruleだ。この点は以前ブライアン・カプランの『選挙の経済学』に触れたところでも書いた。

ぼく個人の政治的見解は置いておくとして,本書には近年特に批判されることが多い「ゲーテッド・コミュニティ」を擁護(むしろ単純に批判する左翼的論者への反論)する箇所があるなど,たくさんの示唆を与えてくれる一冊だ。ぜひ多くの方に読んで欲しいと思う。本書については、ここで社会学者の北田暁大氏による書評を読むことができる。余談になるが、北田先生は、ぼくが学生のころ在籍していた都内の某私立大学にメディア論を教えに来ており,その初回の講義の後に少ししゃべったことがある。親切に対応してもらい、今でも良い思い出として残っている。

集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて

集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて