Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

デモクラシー原理主義

先日図書館からドラルド・ウィットマンの『デモクラシーの経済学』を借りてきた関係で、ブライアン・カプランの『選挙の経済学』を読み直してみた。『デモクラシーの経済学』が『選挙の経済学』のなかで論敵のひとつとされていたことを思い出したからだ。『選挙の経済学』については、以前「選挙の経済学」というエントリで紹介している。今回改めて読み返して思ったのは、カプランは本当にスマートだということだ。

特に、前のエントリでは触れなかったが、「市場原理主義」批判を批判する文脈のなかで「デモクラシー原理主義」に言及している箇所は秀逸だ。日本でも事情は変わらないだろう。個人的には、現代に蔓延するデモクラシー信仰=デモクラシー原理主義は1種の社会病理だとさえ思っている。

カプランも述べているように、民主主義を擁護する人間はウィンストン・チャーチルによる「デモクラシーは、これまで試みられてきた他のすべての政府形態を除けば、最悪のものである」という言葉を引用する傾向が強い。よく新聞のコラム等で見かけるが、この手の論者は大体、現代民主主義の欠陥(大衆迎合、金権政治等)をひとしきり嘆いてみせた後で、それでも民主主義は大切なのだと結んで終わるケースが多い。

しかし、これはほとんど思考停止と言ってよいような状況ではないだろうか。チャーチルの言葉自体が無内容かつ空疎なスローガンに過ぎないというのもあるが、デモクラシーに問題があるならば、それを具体的に改善することを目指すべきだ。ぼくは「君主制のほうが望ましい」とまでは言わないが、少なくともカプランの以下の指摘は真剣に耳を傾ける必要があると思っている。

市場と同様に、デモクラシーもまた、制限され、規制され、反対されうるものである。司法審査のような多数決でない手続きが、民主主義的なそれと一緒に機能することもありうる。超多数決ルールは、少数派が多数派の意思を阻止することを認めている。限界的にトレードオフの関係にあるものを、強引に二者択一に持っていくのはそれを合理的に見せようとする原理主義的と言える。

余談になるが、今回『選挙の経済学』を読んで、やはり訳文がちょっとかたいなという印象を受けた。web上で読む限り、かれの文章はもう少しくだけた感じだと思う。この辺り次回に生かして欲しいものだ。