Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

ボランタリー・シティ 

今回は、以前みんなの党を取り上げた際にも言及した、デイヴィド・ベイト、ピーター・ゴードン、アレクサンダー・タバロック編著『ボランタリー・シティ 選択・コミュニティ・市民社会』を紹介してみたい。

まず、本書の内容を一言で表すならば、政府の役割を強調するうえでしばしばあげられる「市場の失敗」という概念に対する挑戦、と言えるだろう。著者たちは、理論的に「公共財」あるいは「外部性」の存在といった理由から市場では十分に供給できないとされている財やサービスが、現実には様々な制度的なアレンジメント等により市場を含む民間部門によって見事に供給されている事実を明らかにしている。とりわけ、タイトルにもあるように「都市」の働きに注目しているのが本書の大きな特徴だ。

本書は、ポール・ジョンソンによる序文とプロローグ、エピローグを除き、大きく3部構成となっている。まずパート1では,一般的には必要不可欠と思われている政府の「都市計画」にたいして、主として歴史的な観点から疑問が呈される。産業革命期のイギリスの都市が都市計画や政府の規制がない中で発展していったこと、アメリカのセントルイスで民間デベロッパーが道路、水道、電気といったインフラストラクチャーを供給していた事実、19世紀初期のアメリカとイギリスでは民間企業が幹線道路の整備を行っていた事例、シカゴの中央工業団地が港、鉄道、電気等といった多様なサービスを提供している件等、政府の介入事由に対する数多くの反証があげられている。

また、「ボランタリー・シティにおける法と社会サービス」と第されたパート2は、国家なき司法制度(もちろん著者はブルース・ベンソンだ)、19世紀中旬まで続いていたイギリスにおける警察の私的供給、アメリカで友愛会(Fraternal Societies)が担っていた相互扶助機能、アメリカやイギリスで公教育の普及以前に民間教育機関が果たしていた大きな役割等が論じられる。ここでは、ボランタリー・シティ(自発的な都市)で民間の手により法や広範な社会サービスが供給されていたことが指摘されている。

そして、特に個人的に興味深かったパート3。「ボランタリー・シティとコミュニティ」と題された本節では、近年アメリカで隆盛を極める私有コミュニティ(propriatetary community)の実態とその可能性が論じられている。書き手は、フレッド・フォールドベリー、ドナルド・ブードリューとランダル・ホルコム、ロバート・ネルソン、スペンサー・マッカラムといったこの分野の代表的な論者たちだ。従前から私有コミュニティに関しては極めて強い関心があったので、非常に面白く読むことができた。本節の内容については、改めて書いてみたいと思っている。

以上のように、本書は、経済学者、歴史学者、教育学者、社会人類学者といった様々なフィールドの研究者たちが、通常公共財や集合財とされる財やサービスであっても、(政府によらず)民間によって供給可能であることを実証的かつ説得力を持って示している。書き手の多くは、ブルース・ベンソンやフレッド・フォールドベリー等リバタリアンとしても著名な人物だ。残念なことに邦訳はまだないが、リバタリアニズムに関心がある人はもちろんのこと、ぜひ多くの方に読んだもらいたい1冊だと思った。おすすめです。

Voluntary City: Choice, Community, and Civil Society

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