Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

なぜわたしはアナルコ・キャピタリストではないのか(1)

今回も初出はLJPだ。アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)への全面的な批判と言うよりも、疑問点を提示することで議論の底上げを図れたらたという意図に基づくものだった。もしかしたら「内ゲバか!?」と思った方もいるかもしれない(笑)。LJPのメンバーにはアナルコ・キャピタリストを自任するかたが多いので、リバタリアニズムの多様性を示すうえではこのエントリはなかなか有益だったのではないかと感じている。ぜひ忌憚のない意見(批判)を頂ければと思う。

typeAさんが無政府資本主義社会について包括的な議論をされているので(「民間警察は暴力団にあらず remixed by typeA」及び「アナルコ・キャピタリズムへの道も一歩から」)、関連する形でいくつかコメントしてみたい。なお、最初に自分の立場を明らかにしておくと、ぼくは無政府資本主義に懐疑的であり、現時点では制限された政府を支持したいと考えている。さて、typeAさんが適切にまとめられているように、今回の一連の議論(濱口桂一郎氏含む)の発端となったのは蔵研也さんが書いた無政府資本主義社会における児童虐待への対応に関してだった。しかし、ここでは児童虐待問題へは触れることはせず、次の2点に絞ってコメントしてみたい(児童虐待に関する自分の考えについてはすでに書いた「児童労働を合法化しよう」)。1つが無政府資本主義社会の実現可能性、安定性、持続性について。もう1つが蔵さんが自らのブログで主張されている自由を重視する価値観の重要性についてだ。

1回目のポストでは、このうちの前半部、すなわち無政府資本主義社会の持続性を論じてみたい。じつはこの問題に関しては、以前ツイッター上で無政府資本主義を支持する立場で本ブログのメンバーでもあるanacapさん及びtypeAさん等と若干議論したことがある(「アナルコ・キャピタルな世界における保護エージェンシーの安定性問題vol.1 」参照)。多少中途半端な形で終わらせてしまったとはいえ、ぼくは自分がここで行った議論は現在でも正しかったと思っている。そして、申し訳ないが、上記両名のコメントにも余り説得されたと感じなかった。ツイッターでの議論は主に無政府資本主義社会における保護企業(保護エージェンシーあるいは民間警備会社でもかまわない)の振る舞いについてだったが、この点も含め再度無政府資本主義への疑問を提示してみたい。

  1. 政府は避けられないのではないか

現在の地球上の全てのエリアが「政府」の統治下にあることは認める必要があるだろう。もちろん無政府資本主義者はこのような政府は「不要」であり、無政府資本主義社会は安定的かつ持続的であると主張する。その主張が果たして正しいのかについては、残念ながら無政府資本主義社会が存在していない現在、確信を持って答えることはできないだろう。つまり「間違っている」とも断言できないわけだ。だが、いくつかの例から予測することはできる。例えば、90年代のボスニアソマリアアフガニスタン等では中央政府が解体し、無政府状態となった時期がある。このような「理想郷」に無政府資本主義者が喜び勇んで駆けつけた、セコム等の民間保護企業が収益機会を求めて参入したという話は寡聞にして聞いたことがない。ぼくは少なくともこうしたエリアでなぜ無政府資本主義が成立しなかったのかを無政府資本主義者はきちんとした説明をすべきだと思っているが、どうだろう。

また、D・フリードマンを始め、多くの無政府資本義者がそのモデルケースと考える中世のアイスランドにしても、(失礼を承知で言わせてもらえば)所詮は世界史上のマージナルな地域の出来事に過ぎないし、今では同地域も立派な「政府」に覆われているではないかと皮肉を言ってみたくなる。ここでは主に経験的な面から無政府資本主義の困難さをコメントしてみた。要するに、結局「政府」の発生は避けられないのではないかということだ。

  1. 保護企業が「平和裏」に競争することは考えにくい

これはツイッター上の議論ともかぶる。無政府資本主義者の議論というのは簡単に言えば、保護企業が無益な紛争を起こすことは考えにくく、消費者の利益となるよう平和裏に競争するだろうというものだ。しかし、この恐ろしく「牧歌的」ないイメージは果たして正しいのだろうか。濱口氏を含め多くの方が懸念されているのもまさしくこの点だろう。ぼくは基本的にこの懸念は正しいだろうと考える。まず、繰り返しになるが、自分自身のツイッターでの発言を引用させてもらいたい。

例えば、一般的な産業ではライバルにたいして値下げやマーケティング戦略で対抗しますよね。いっぽう「保護産業」では文字通り「暴力」」を用いて、ライバルを排除する、あるいは顧客を「獲得」する、可能性が高いように思います。実際マフィア、ギャング間の抗争はこのようなものでしょう。

つまり、一般的な産業は暴力の行使がないという(保護されている)前提での競争。いっぽう「保護産業」における競争は、その前提(保護の提供)自体に関する競争ということです。

これに対しanacapさんは次のように反論されている。

一般的に言って暴力は市場のないところで発生します。また暴力を使えることと実際に使うことは違います。

前半部については、保護産業以外には妥当するだろう。また、後半部については、確かに具体的な保護企業間の紛争が頻発することは考えにくいかもしれない。より想定されるのは、「武力」を背景とした「脅し」ないしは「脅迫」のほうだろう。つまり、市場を明け渡せ、参入するな、さもなくば攻撃するぞというわけだ。仮に各社が平和裏に「共存」したとしても、おそらくそこに発生するのは競争ではなく、1種のカルテルだろう。実際「多元的法秩序」を機能させるためにも、各社は密接にコミュニケーションを取り合う必要がある。言うまでもないが、カルテルは消費者によって有害だ。もちろん無政府資本主義者は、一般的にフリーエントリーが保障されていればカルテルは新規参入者もしくは内部の裏切りものによって崩壊する可能性が高いと反論するかもしれない。しかし、かれらが武力による「制裁」を背景としてカルテルを維持しようとすることは容易に想像できる。

上記を具体的に考えるうえで、typeAさんの保護企業間の競争についての議論を引用させてもらいたい。

強大な勢力を誇る民間警備会社Aについて、仮に株式会社の形態を採っているとしよう。他を圧倒する程の勢力を誇るためには、大富豪による株の専有では足りないであろう。殆どの大企業や機関投資家の投資をも必要とするはずだ。果たして、こうした民間警備会社Aの「株主の利益しか考えない行動」というのはどういったものなのであろうか。他の警備会社の駆逐や他人の財産の窃盗といった治安を乱す行為なのであろうか。恐らく違うであろう。その民間警備会社に投資した大企業や機関投資家は、治安が乱れれば却って己の商売に支障をきたすだろうし、社会的評判も失墜することになるだろうからだ。また、大株主の誰かが何らかの理由で独裁政権の樹立を企てたとしても、他の株主の足並みを揃える事すらままならないであろう。

ここで1つの思考実験をしてみよう。強大な勢力を誇るA社は自らの顧客と年間50万円の料金でかれらに保護を提供している。さて、ある日A社は、ベンチャー保護企業B社がA社の顧客にたいし、半額の25万円で保護を提供するというチラシをまいてA社の顧客を「奪っている」ことを知る。このときA社はどのような行動を起こすだろうか。通常の産業(例えばパソコンを想起せよ)ではおそらく30万円に値下げする等の対抗措置をとるだろう。だが、保護産業ではこれは考えにくい。むしろ次のような行動をとる可能性が高いように思われる。つまり、「1週間以内にB社を解散せよ。でなければ殲滅する」といったメッセージを送るわけだ。あるいは、A社からB社に乗り換えた顧客の1人がある日「死体」となって発見されるかもしれない。もちろんこのような脅迫、暴力行為が許されていいはずがない。だが、強大な武力を誇るA社に対し誰が文句を言えるだろうか。かくしてA社の独占は保たれる。こうして新規参入が不可能となったとき、A社は「政府」に「進化」したと言えるはずだ。

以上、無政府資本主義への疑問をいくつか述べてみた。ぼく自身、無政府資本主義というのは非常に興味深い議論であり、考察する価値は大いにあると思っている。しかし、ハードコアなリバタリアンとしてもやはりその実現性、安定性は大いに疑わしいと考える。なお、今回のぼくの議論の多くは敬愛するリバタリアン経済学者Randall Holcombeの"Goverment:Unnecessary but Inevitable"に負っている。この論文に関しては以前のエントリ「政府:不必要だが避けられないもの」も参照して欲しい。次回は蔵研也さんの議論についてコメントしてみたい。