Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

公立学校の真の役割とはなにか

例によってLJPのポストの再掲だ。読んだ人がどう思うかはわからないが、個人的にはなかなか気に入っているもののひとつ。議論自体はランダル・ホルコム「公共財理論の理論」内の公教育(Public Education)を論じた箇所に多くを負っている。

教育(特に初等、中等教育)にたいする公的支援の理由の1つとして、教育にはスピルオーバー効果があるから市場に任せておくと個々人は「過少消費」に陥る可能性が高い、というのがある。これがどの程度実証的に支持されるのかはここでは問わない。だが、教育への公的介入の実態を考えた場合、これだけでは説明がつかないことが多い。その最大のものが政府が運営する学校(公立学校)の存在だろう。というのも上記であげたような(正の)外部性の内部化であれば、助成(例:教育バウチャー等)で十分だからだ。

では公立学校の真の役割とは何なのか。結論から言えば、「洗脳」、「思想統制」にある。もう少し穏やかな表現に直すと、教育を通じて政府の「正統性」を強化することだと言えるだろう。D・フリードマンが的確に指摘しているように(この点に関しては「無政府とは何か?政府とは何か?:What is anarchy? What is Government? 」等を参照されたい)、「政府」をギャング等その他の強制機関と分けるものは、人々がその存在を「正統」であるとみなしていることにある。驚くべきことに実に多くの人々が「自発的」に税金を払っている。これは政府にとって自らの正統性を強化することが、低コストでの収奪(課税)を可能とすることを意味する。

こうした政府による人々の意識への働きかけの例として、北朝鮮のようなメディア統制を通じたプロパガンダがあげられる。しかし、この方式には余りにあからさまであるため気づかれやすいという欠点がある。いっぽう、教室内でのプロパガンダは気づかれにくい。皆さんもよく思い出していただきたいが、公立学校で政府の「必要性」、「重要性」を否定する内容の授業が行われたことがあっただろうか。また、(公式認定された)教育内容を理解、マスターすることは将来の栄達につながるため、個々人のインセンティブと両立的であるという長所がある。

たしかに私立学校への政府助成でも政府の意向をそれなりに伝えることは可能だろう。だが、より効果があるのは政府自らが直接学校を運営することであるのは言うまでもない。さらに公立学校の教員=雇用が保障された公務員には政府の必要性をことさら強調するインセンティブがあることを忘れてはならない。以前も書いたことがあるが(「保守主義とリバタリアニズム」)、日教組が「反政府」的であると考えるのは完全な間違いだ。もっと統制的(社会主義)の政府を求めているものと認識しておかなければならない。

以上の議論からわかる通り、リバタリアンにとって教育問題は非常に重要だ。自由な社会を築くためには、公教育、とりわけ公立学校が完全に廃止されなければならないということを改めて主張する。