Shouting Fire in a Crowded Theater

日々のあれこれ

リバタリアンの戦略論

デイヴィド・フリードマンの『自由のためのメカニズム』(原題:The Machinery of Freedom)は、言わずと知れたリバタリアニズム、アナルコ・キャピリズムを代表する1冊であり、20代で書かれたと思えないほどの完成度は驚異的だ。ぼく自身大きな影響を受けてきた。ただ、その内容の全てに賛同しているわけではない。

自由のためのメカニズム―アナルコ・キャピタリズムへの道案内

自由のためのメカニズム―アナルコ・キャピタリズムへの道案内

  • 作者: デイヴィドフリードマン,David Friedman,森村進,高津融男,関良徳,橋本祐子
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2003/12/01
  • メディア: 単行本
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例えば、かれはオーソドックな経済学者らしく、「公共財」、とくに「国防」の提供がアナーキストにとって困難な問題であることを認めており、場合によっては徴兵制が正当化される可能性も示唆している。しかし、ぼくはかれの見方はいささか悲観的すぎるだろうと考える。おそらく無政府社会でもさまざまな民間のアレンジメントによって「国防」は提供できるだろう。この点については以前紹介したローデリック・ロングの議論が参考になる(「自由社会を防衛する」)。いっぽうアナーキーの安定性、持続可能性については楽観的すぎるように思われる。とりわけ警備保障会社の共謀、カルテルの問題については、より詳細な検討が必要だろう。この点に関して、ぼくは以前紹介したタイラー・コーエンの議論(「公共財としての法:アナーキーの経済学」、「同 若干の補足」)がかなりの説得力を有しているように思っている。

以上若干コメントを述べてきたが、今回の本題は、かれの戦略論に関わることだ。D・フリードマンは「36 なぜ無政府主義か?」と題された章で、なぜ一見非現実的と思われる「無政府主義」を掲げるのかについて主に2つの理由をあげている。1つは、当然のことだが、制限された政府よりも無政府のほうがより望ましいと考えるため。もう1つは、現実はともあれ、「行きたいところ」を提示することが多くの人々を説得するうえで重要かつ効果的であると信じているためだという。著者は、20世紀における社会主義の「成功」は、かれらが、議論のうえで「ユートピアン」であることをいとわなかったからだと述べている。

結論から言うと、ぼくはD・フリードマンの上記の理由のうち、後者、つまり無政府を掲げることは人々を説得するうえで効果的だ、というのはかなり疑わしい議論だと思う。たしかに社会主義の失敗が明らかとなった現在、多少の揺り戻しがあるとはいえ、時代の(大きな)流れは小さな政府、市場重視に傾いている。しかし、これは別にD・フリードマンやロスバードの無政府主義のスローガンのおかげではないだろう。むしろ、もう少し現実的な理由、つまり財政赤字の累積、インフレの昂進という理由でそれまでの「大きな政府」が維持できなくなったことや国際的な「租税競争」の結果といったいわば経済的なプレッシャーによるものが大きかったはずだ。もちろんこうした政策を無政府主義ではなく制限された政府を掲げるミルトン・フリードマンやハイエクの思想が後押ししたことが言うまでもない。

ぼく自身、無政府主義のユートピア的理念に強く惹きつけられるところがあるし、社会を変えていく上でのイデオロギーの重要性は認識しているつもりだ。だが、D・フリードマンと異なり、現時点で無政府主義を全面に押し出すことはマイナスのほうが大きいように思う。なぜなら、無政府主義(アナーキズム)と言った時点で多くの人は目を背ける、まともに話を聞かないだろうことが容易に想像できる点。それから、無政府主義の主張がおうおうにして「政府の是非」という部分に収束してしまい、現実的な改革案を拒む傾向にある点だ。いくら政府は非効率かつ悪であり、廃絶しなければならないと言ったところで、それが現実の政治の舞台で議論される可能性は皆無だろう。

今回の内容は自戒を込めてということで。なお、今回の話しはあくまで戦略的、政策的な見地からのもので、理論的、倫理的に無政府主義が誤っているか否かという問題ではないことにご留意ください。

日経BPクラシックス 隷従への道

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