Shouting Fire in a Crowded Theater

日々のあれこれ

仕事なんてクソだろ? 海外ニートとリバタリアン経済学者

すでに各所で話題になっていることだが、人気ブログ「ニートの海外就職日記」が閉鎖された。理由の詳細はわからないが、どうやら作者である海外ニートさんが身の危険を感じるような出来事があったからのようだ。海外ニートさんについては、このブログでも何度か取り上げたことがある。自分自身大ファンだったため、閉鎖のニュースを知ったときは大きなショックを受けた。身の危険を感じたというのだからただごとではない。どこの誰だが知らないが卑劣なやつがいたものだ。海外ニートさんの主張に反感をいだいたとしても、あくまでその内容にたいして(言論で)批判を行うべきだろう。またどこかで海外ニートさんが言論活動を再開されることを願ってやまない。

前置きが長くなったが、今回はLJPに書いた海外ニートさんに関連する記事を再掲したい。記事の内容自体は、自分が今まで書いたエントリを再構成した色彩が強いが、タイトルが刺激的だったのか、それなりのアクセスを集めたことを記憶している。言うまでもないが、このタイトルは海外ニートさんのスローガンを拝借したものだ。

今最も注目されているブログの1つは「ニートの海外就職日記」だろう。作者の海外ニートさんは、大学卒業後パチプロ、オーストラリアへの留学を経て現在シンガポールの外資系企業で働いている方だ。サービス残業等が慢性化する日本の労働環境がいかに「国際基準」から見て異常であるかを述べており、その論理的かつ説得力のある語り口と相まって、日本社会の閉塞感にうんざりしている若者を中心に大きな共感を集めている。人気の高さは各エントリにつけられたはてなブックマークの多さからも推察される。

ぼく自身、日本企業に勤めるサラリーマンとしてその労働環境、正確には異常な「労働意識」と形容したほうが適切かもしれない、には常日頃うんざりしているので、海外ニートさんの議論の大部分には納得できる。もちろん海外ニートさんは「リバタリアン」ではないし、おそらくそういった政治思想にも関心はないだろう。そしてぼくも残念ながら海外ニートさんの議論の結論部分=労働基準法等を遵守させるための政府介入の強化等にはやはり賛成することはできない。究極的に、労働者を保護するのはそのような労働法制ではなく、「競争的労働市場」の実現のみであると確信しているからだ。この点については別のところでもう少し詳しく書いたことがある(PRIVATOPIA「海外ニートの逆襲」)。

しかし、今回取り上げたいのはそのことではない。むしろ海外ニートさんが体現している価値観についてだ。海外ニートさんの主張を勝手にまとめさせていただければ、結局、仕事=働くことは生きていくための「手段」に過ぎず、働かなくていいのであればそれにこしたことはない、というものだと思う。そしてまさしくこの部分こそぼくが最も賛同するところだ。日本の世間的には、「労働」というのは単なる金銭を獲得する行為以上の何かであり、仕事を通じて「自己実現」を図るべきだという価値観が流布されているように感じる。だが、これは嘘だと思う。もっとはっきり言うと世の中の「生産至上主義」的な考えはある種のデマゴギーだ。

人生には仕事以上に重要なことが山ほどあり、時間は有限なのだから、出来るだけ働かないにこしたことはない。ここでいう「働かない」が、単に「家で何もせずじっとしている」ことを意味するわけではないのは言うまでもないだろう。おいしいご飯を食べたり、読書をしたり、スポーツをしたり、貧困のなくすための活動をしたり、あるいは「自由主義」を広めるために尽力したり。いろいろ選択肢が考えられる。もちろん家でじっとしていてもかまわない。

これは別に特別な意見ではないことを強調しておきたい。実際、標準的な経済学では、労働というのは単に苦痛をもたらすもの(負の効用)として扱われているからだ。リバタリアン経済学者スティーヴン・ランズバーグは著者『ランチタイムの経済学』第5章の「労働と余暇のトレードオフ」でこの点を明快に説明している。

人生の成功は他人の成果との比較で図るのではなく、自分自身の満足で測るものだということを知る。また、人生ゲームには大勢の勝者がいること、1人のプレーヤーの勝利が必ずしも他者の勝利を損なわないことを学ぶだろう。また、勤勉には見返りがあるけれども、その分、他の活動のための時間が奪われるし、何を1番したいかは人によって異なることがわかるだろう。何よりも重要なのは、貯蓄と勤勉ではなく、消費と余暇こそが人生であることを学ぶだろう。(中略)

他人のクラスのクリーニングをしても楽しくはないが、ケーキを食べるのは楽しい。(中略)

主だった経済モデルはすべて、人は消費を増やして労働を減らしたがっているものと想定している。代表的なモデルはすべて、この目標の少なくとも1つの達成に寄与するような経済政策は成功だと判定する。経済学の基準によれば、人にムチ打って働かせ、彼らを金持ちにして死なせるような政策は悪い政策なのだ。(中略)

もし、私たちの目標が投入する労働力にかかわらず利益を最大にすることだとするならば、アメリカ人の大半は強制労働キャンプに入ることになるだろう。

もちろんこうした考えに直感的に反発を覚える人もいるだろう。例えば人気ブロガーの藤沢数希は、自身のブログで

経済学では個人は消費すると幸せになれて、たくさん消費するために生きているとされる。労働をするのは、消費するためにお金が必要でそれを稼ぐためだ。しかしこの簡単なモデルは僕の実感でもぜんぜん正しくない。

と述べ(「楽しい仕事と生活のための仕事」)、やりがいのある「楽しい仕事」の重要性を説いている。おそらくこれは多くの日本人が同様に感じることだろう。ぼくも否定はしない。だが、今求められているのは、むしろ経済学の教える通り、「労働」が基本的には「苦痛」であることを理解し、妙な「やりがい」やら「充実感」でそうした苦痛を正当化しないことだろう。それが、海外ニートさんも指摘するようにたかが仕事程度で死んでしまわなければならない人々を減らすことにつながるはずだと考える。

ランチタイムの経済学―日常生活の謎をやさしく解き明かす (日経ビジネス人文庫)

ランチタイムの経済学―日常生活の謎をやさしく解き明かす (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: スティーヴンランズバーグ,佐和隆光,Steven E. Landsburg,吉田利子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 文庫
  • 購入: 3人 クリック: 21回
  • この商品を含むブログ (25件) を見る