Shouting Fire in a Crowded Theater

日々のあれこれ

これからの「家族」の話をしよう

誰が得するんだよこの書評」というグログで、昨年東大の駒場祭で行われた一橋大学教授の森村進さんの講演内容がアップされている(「森村進教授の講演会 〈 こらからの「家族」の話をしよう 〉 がすごい件 part1」「同 part2」)。大変面白く読ませてもらった。ここで森村さんはリバタリアンらしく、婚姻制度の廃止、関係的な契約civil union制度の導入等を訴えている。この問題については、自分も以前「同性婚」というエントリで橋本祐子さんの議論を紹介する形で取り上げたことがある。繰り返しになるが、ぼくも森村さんや橋本さん同様、婚姻制度の廃止、私事化には全面的に賛同する。愛情や友情の形は人によって異なるものであり、政府が画一的に押し付ける(特別な地位を与える)ようなことはするべきではない。もちろん婚姻制度が廃止されても大多数の人々は現在のような一夫一妻的な関係を取り結ぶだろう。だが、同性愛者をはじめ、現行の制度のもとで差別的な取り扱いを受けている人々の状況が改善される可能性があるならやってみる価値は大いにある。むしろ反対する理由が思いつかないくらいだ。

リバタリアンはこう考える: 法哲学論集 (学術選書)

リバタリアンはこう考える: 法哲学論集 (学術選書)

ところで、「同性婚」では、若干の留保を行いながら議論を展開した。それは、リバタリアンな社会では、たしかにライフスタイルの形式的な「選択肢」は増えるだろうが、ドラスティックな社会福祉制度の解体等により、多様なライフスタイルの実現という目的が必ずしも達成されるとは限らないという点だ。また、様々な差別禁止法の廃止によってマイノリティへの差別的取り扱いが増加する可能性もあるかもしれない。こうした見解はとくに保守的なリバタリアンに見られる(例えば「私的所有は差別を意味する」を参照されたい)。個人的には、この考えは一定の真実を述べていると思う。ただ、だからといって現在の政府による統制を支持する理由にはならないことは、やはり付け加えておく必要がある。おそらくリバタリアンな社会は、多様な家族のあり方を許容すると同時に、ある面では伝統的な親族の結びつきを強化するだろう。それならそれでかまわない。
Democracy ? The God That Failed: The Economics and Politics of Monarchy, Democracy and Natural Order (Perspectives on Democratic Practice)

Democracy ? The God That Failed: The Economics and Politics of Monarchy, Democracy and Natural Order (Perspectives on Democratic Practice)