Shouting Fire in a Crowded Theater

日々のあれこれ

ゲーテッド・コミュニティ: 新しいユートピア

LJPに書いた記事の転載。これも過去自分が書いたエントリを再構成した内容だ。この話題については昔から関心を持っている。最近言及することは少ないが、また機会を改めて関連する記事を書いてみたいと思う。

近年、周囲を壁やフェンスで囲み、出入りを制限した住宅街が世界中で急増していることをご存じだろうか。こうした住宅街は、一般的に「ゲーテッド・コミュニティ(gated community)」と呼ばれる。少し古いデータになるが、エドワード・J.ブレークリー, メーリー・ゲイルスナイダー『ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市―』によると、アメリカでは1997年の時点で300百戸以上の住宅の住居からなる、およそ20,000のゲーテッド・コミュニティが存在するという。

ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市

ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市

  • 作者: エドワード・J.ブレークリー,メーリー・ゲイルスナイダー,Edward J. Blakely,Mary Gail Snyder,竹井隆人
  • 出版社/メーカー: 集文社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本
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リバタリアン的にも、ゲーテッド・コミュニティは非常に興味深い。なぜなら、「治安維持活動」という1種の公共財が、民間の制度的アレンジメントによって供給可能であることを示す格好の例となっているためだ。リバタリアンの立場からゲーテッド・コミュニティの可能性に注目している立命館アジア太平洋大学准教授のデイヴィッド・アスキューは、フレッド・フォールドベリーにならい、この供給メカニズムを「領土的財」という概念を用いて説明している(「『治安維持の市場化』の可能性」)。

ある財(ないしサーヴィス)の消費・利用が,主として一定の地域定期領土内に限られており,この領土への出入りが統制可能であるとき,この財は領土的財である。地域への出入りが統制できるからこそ,その財は「排除不可能性」を帯びるようになり,市場による供給が可能になる。

つまりゲーテッド・コミュニテイのような住民以外の招待されない人間の立ち入りを禁止する場所では,「公共財」の供給において問題となるフリーライダーを防ぐことができるというわけだ。

『ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市―』の訳者で、日本におけるゲーテッド・コミュニティ研究の第1人者である政治学者の竹井隆人も指摘しているように、現在の日本人のセキュリティへの関心の高まりを見ると、ゲーテッド・コミュニティを他人事として扱うことは出来ないだろう。ただ、日本では、アメリカのような戸建住宅群の周囲に外壁を張り巡らせた形態の「ゲーテッド・コミュニティ」を建設することは難しい。竹井によれば、これは次のような理由からだ(竹井隆人『集合住宅デモクラシー』)。

まず、民間デベロッパーが造成した居住区であっても、住宅の公道への接道義務等により居住区内の街路を行政に移管(いわゆる「上地」)しなければならない。区内の街路が「公道」という「公共物」となるため、通行の制限やゲートの設置は事実上不可能となる。また、居住区内の共用空間、公園や広場についても、行政によって造成されるか民間デベロッパーが造成したうえで行政に移管する例が大半であり、上記と同様にこうした行政に帰属する「公共物」へ通じる街路を封鎖することは困難となる。

現代におけるゲーテッド・コミュニティの隆盛は、国家がもはや「治安維持」において有効な働きを果たせなくなりつつあることの証左であり、ぼくはこの現象を高く評価する。ゲーテッド・コミュニティと聞くと、「社会の分断を招く!」と短絡的に反発する人間は多い。だが、要は、「自分の身は自分で守る」という当たり前の意識の表れに過ぎないことを理解する必要があるだろう。日本でも、各種法制の改正によって、ゲーテッド・コミュニティを実現・普及できるようにすることが必要だと強く主張する。

集合住宅デモクラシー―新たなコミュニティ・ガバナンスのかたち (SEKAISHISO SEMINAR)

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