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日々のあれこれ

アイン・ランドの正しさ:『利己主義という気概』を読む

Ayn Rand, The Virtue of Selfishness : A New Concept of Egoismの邦訳。サンデルブームもあって、日本でも「リバタリアニズム」という言葉がようやく知られるようになった。本書の著者であるアイン・ランドはリバタリアニズムの誕生に多大な貢献をした作家、哲学者として知られる。彼女の徹底した個人主義・自由主義の思想は、直接・間接を問わずノージック、ロスバード、ブロックそしてD・フリードマンといった主要なリバタリアン理論家に圧倒的な影響を与えた。前FRB議長だったアラン・グリーンスパンがランドの忠実な弟子だったのは有名な話だ(「肩をすくめるアラン」)。もっとも、ランド自身はリバタリアニズムという言葉を用いること好まず、自らの哲学を「客観主義」と呼んでいたわけだが。その辺りの事情に関心がある方は、以前のエントリで紹介した本を読んでみてほしい(「ラディカル・リバタリアニズム」、「ラディカルズ・フォー・キャピタリズム」)。

利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定するー

利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定するー

さて、もともとアイン・ランドが名声を博したのは、『水源』、『肩をすくめるアトラス』といった小説を通じてだった。本書は、そうした作品を通じて語られた彼女の哲学、すなわち「客観主義」を改めて説明するとともに、政治的諸問題を論じたエッセイ集の形を取っている。まず、ぼくがここで述べられているランドの主張のほとんど全てに賛成であることを記しておきたい。例えば次のような見解だ。

かつて、バーバラ・ブランデン(ランドの弟子)が、ある学生から「客観主義社会(slumlord注:自由放任の資本主義社会のこと)においては貧しい人々には何が起きるでしょうか」と質問されたことがあったが、彼女は次のように答えた。「あなたが、貧しい人々を助けたいのならば、あなたがそうすることを阻止されることはないでしょう」と。
これこそが、この問題全体の本質である。(中略)
個人のみが、個々の人間のみが、いつ他人を助けたいか、もしくは、他人を助けたいかを決定する権利を持っている。組織化された政治制度としての社会に、それを決定する権利などまったくない。

まさにその通りだろう。現在の日本でも、上記のような問いがなされるケースは多い。しかし、結局は、(貧困者の救済という)自らの満足のために他人の金を巻き上げようという低俗な人間の意思表明に過ぎない。それほど貧しい人を助けたいのならば、まず自らが動けばいいだけだからだ。

本書はエッセイ集という形式から、その内容には重複する部分も多い。だが、繰り返し説かれるメッセージはシンプルだ。利己主義と個人の権利の称賛。その裏返してとしての利他主義及び神権政治、社会主義、全体主義、そして福祉国家といったいわゆる集団主義(collectivisim)にたいする徹底的な批判だ。最近であれば、ここにマイケル・サンデルが必死に唱えているコミュニタリアニズムが加わるかもしれない。名前をいくら変えようとも、これら利他主義や集団主義の本質は同じと言えるだろう。すなわち、個人は他人や集団に隷属すべきであるという愚劣な考え。いわば「奴隷の哲学」だ。ぼくはランドの正しさを信じている。

肩をすくめるアトラス 第一部

肩をすくめるアトラス 第一部

  • 作者: アイン・ランド,Ayn Rand,,翻訳 脇坂あゆみ,デザイン 中三川基,脇坂あゆみ
  • 出版社/メーカー: アトランティス
  • 発売日: 2014/12/15
  • メディア: 文庫
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