Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

誰がより無責任なのか?

少し前(2005年)になるが、Econlogのブライアン・カプランの記事「誰がより無責任なのか?」が興味深かったので紹介しておきたい。ここでカプランは、"福祉改革"(welfare reform)が唱えられる背景のひとつである10代のシングル・マザーについて、大部分は自らの行動が招いた帰結であり、例えば生まれつき目の見えない人よりも、援助を受けるに値しない存在だろうと述べている。かれは、実際育てられる見通しもないのに子どもを生むのは無責任であり、無責任な人々に援助を受ける資格がないのは当然だとする。

そのうえでカプランは、現在の社会保障改革の障害となっている退職者向けの給付に関連して、客観的に言えば、退職後の生活のために十分な蓄えをしていなかった人々は、10代のシングル・マザーよりもはるかに無責任であると断言する。なぜか。10代のシングル・マザーは、言うなればいっときの性的衝動に身を委ねた結果であり、一度子どもを産んでしまえば、若いときの軽率さの対価として20年近くに渡る過酷な生活を強いられることになる。また、彼女たちを非難するような"責任ある"大人たちもおそらく単にラッキーだっただけだろう。

いっぽう、退職後の生活に備えるというのは、上記のような瞬間的な行動の話とは全く異なる。準備をしくじるには、何週間、何年にも渡って"間違った"決定をし続ける必要があるからだ。カプランは、仮に20代は無分別でそのような考えに至らなかったとしても、30代、40代と機会があったにもかかわらずかれらはそうしなかったと皮肉を込めて書いている。

カプランは、10代のシングル・マザーと十分に備えのない退職者の両者とも無責任であり、公的支援でなく家族と私的なチャリティーに頼るべきだと主張する。仮にこの考えが厳し過ぎると感じられるとしても、先述の通り高齢の退職者はいっそう無責任なのだから、高齢者への給付は、少なくとも福祉給付よりも、少額かつ厳格な資産調査に基づいた、そして不名誉なものとされなければならないと結論づけている。

ぼくもカプランの議論に賛同する。むかし「老人支配に抗して(2)―若者はやはりかわいそう」というエントリ書いたことがあるが、じっさい日本でも盛んに流布されている悲惨な老人像は、ほとんどが長い人生に渡る無責任かつ近視眼的な行動に終始した人間の末路に過ぎないものだ。こういった人々を公金を使って救済する道徳的意義は一体どこにあるのか。ぼくはほとんどないだろうと思う。

今回のカプランの記事は、現在日本でも盛り上がっている生活保護制度を始めとした社会保障・社会福祉のあり方に考えるうえで非常に示唆に富むものだと思い、紹介させてもらった。限られた財政資源のなかで真に援助すべきなのは誰なのか、参考になれば幸いだ。