Shouting Fire in a Crowded Theater

30代・独身・リーマンの視点

新世代のオースリア学派経済学者: エドワード・ストリンガムへのインタビュー

前回に引き続き『オーストリアン・エコノミクス・ニューズレター』の記事より。「新世代(THE NEW GENERATION)」と題し、何名かの若手のオーストリア学派経済学者が取り上げられている。そのなかで巻頭に来ているのが、現在若手のホープと目されているファイエットビル州立大学教授のエドワード・ストリンガム(インタビュー時の所属はサンジョセ州立大学)。1975年生まれだから、まだ30代中盤の若さだ。ストリンガムについては、このブログの過去のエントリでも紹介したことがある。(「アナーキーと法」)。

今回のストリンガムへのインタビューでは、かれの経歴、とりわけ順調なアカデミック・キャリアに焦点があてられている。まずかれがオーストリア学派の経済学やリバタリアニズムに関心を抱いたのは、学部生時代(ホーリークロス大学)、そこで教職を執っていたウォルター・ブロックに薫陶を受けたためだという。2人にまつわる次のようなエピソードが微笑ましい。

当時教室で古典的自由主義、制限された政府の立場を示していたブロックにたいし、ある日ストリンガムが「なぜ警察や司法制度も同様に民営化の対象と考えないのか?」と尋ねた。辺りを見回し、ドアを閉めたブロックは「リバタリアンにも2つのタイプがいる。制限された政府を支持するものと無政府主義のリバタリアンだ。そして自分は後者、つまり無政府主義のリバタリアンなんだ」。この会話がストリンガムに主として無政府主義リバタリアンへの興味を引き立てることになった。 

その後かれは、オーストリア学派の中心的な研究拠点であるジョージ・メイソン大学の大学院へ進学する。ストリンガムは、大学院での教育・研究について面白いコメントをしている。若手の研究者は院生時代、オーストリア学派の勉強をするのは避け、できるだけ主流派経済学に取り組むべきだという人たちがいるが、自分(ストリンガム)の意見として、これほどバカげた考えはないというものだ。 

この方法(かれは「ステルス戦術」と呼ぶ)は、一見就職や昇進のために有利に見えるかもしれないが、実際そんなサクセス・ストーリは存在しない。トップクラスの主流派経済学者は自らの人生のほぼ全てを研究に捧げている。そんな中で主流派経済学とオーストリア学派の両立を達成しようと思ってもできるものではないし、そもそも仮に主流派経済学者として成功するために投じた10年間を投じたとするならば、かれはそうすることによってオーストリア学派の研究に投じることができた10年間を失ってしまったことになる。ストリンガムは、オーストリア学派の研究者は、MITの経済学者などと競争しようなどど思わずに、最良のオースリア学派の経済学者を目指すべきだとしている。 

かれは上記の信念に従って研究者としての就職市場でも堂々とリバタリアン、オースリア学派の経済学者であることを明示し、にもかかわらず(それ故に?)複数の大学からオファーをもらうことができた。ストリンガムは、この理由を、多くの大学は、院生が思っているほど数理的・計量的テクニックに習熟しているかを重視しておらず、それよりも研究や教育への熱意・情熱といったものを評価しているからだ推察している。たしかに研究者になるわけでもない多くの学生にとって、数理的手法に精通しているかどうかは正直どうでもよく、むしろ経済学の面白さを情熱的に伝えてくれる教師のほうが望ましいのは間違いない。これはぼくが学生時代にも大いに感じたことだ。 

最後にストリンガムは、オーストリア学派の将来像について、ほとんどの人が興味を持たないような不毛な論争に時間を割くのではなく、市場経済学に関する追加的な知識を与えるような創造的な研究に力を注ぐべきだと主張している。これもまったくもっとも議論だろう。かれの話は、これ以外にも経済学、オーストリア学派リバタリアニズムへの愛情に溢れたものとなっている。日本で自由主義を研究しようとしている若手研究者にも大いに参考になると思うので、ぜひ一読をオススメしたい。